越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

修学旅行

阿賀野川の北1

笹岡城本郭の土塁。越後守護上杉氏の一門、山浦上杉氏の館城。国人衆とは家格の違いを想わせるつくりでした。村上義清・国清は山浦上杉氏の名跡を継ぎました。 政庁があったと思われる郭。鑑洞寺と神社が在ります。 正面から。 舟繋ぎの杉。湖沼への玄関。…

石動山(せきどうざん)

能越境に位置する山岳信仰の霊場。最盛期(中世)には360余坊三千人の衆徒(僧兵)を擁した。上杉謙信が七尾城を攻めた際、本陣をおいた。 復元された大宮坊。 謙信死後、天正十年(1582)前田利家に攻められ全山焦土と化した。 五重塔跡の礎石。生々しい焼痕が見…

坪野城

上杉謙信が越中椎名氏の松倉城を落城させた折りに本陣とした、笠取峠を扼する山城。笠取峠は笠を並べて軍勢を多く見せたという伝承が残ります。 遠景 こんな道を辿っていきました。 井戸跡? 百間馬場(謙信本陣)? かまど跡? 謎の湿地帯.。危うく嵌りそう…

桐原城

信濃守護小笠原氏の林城の支城として、山辺谷の入口を防御する。 登城口に松本市教育委員会の看板がある他は、路も遺構もまったく整備されていないが、近年稀にみるヒットだった。こんな素晴らしい遺構が訪れる人もなく埋もれているなんて。 いや稀にいるよ…

小笠原と諏訪

林城主郭と諏訪氏居館下の道 この道を武田晴信はじめ板垣信方、馬場信春など錚々たる武田武将が通ったと想うと、おおぉーって魂が震えません?

吉川氏城館跡史跡 その2

続いて毛利元就の妻の実家、吉川氏の本拠小倉山城跡へ。ここもこぎれいに整備されている。誰もいないが。小説山霧だと大きな城となっているが越後国人領主の要害(北条、平林など)よりは小振りな感じがした。御会所と呼ばれる広い郭を山腹に抱くスタイルは根…

吉川氏城館跡史跡その1

今年の田舎は大雪が続きますが、安芸(広島県)へ行ってきました。 まず広島城。若い女性の4、5人のグループや二人連れがたくさんいて驚き。噂に聞く歴女?。お友達になってください!とは言えずに一人修学。さっと済まそうと思っていたが、輝廣作の素晴らしい…

横須賀

ある日、田舎は雪なのに横須賀へ行ってきました。晴天でした。軍港を船で海から見学。45分1200円。乗船者10名もいなかったが、アメリカ海軍のイージス艦、空母、海上自衛隊の潜水艦、護衛艦、訓練している自衛官の方々など、次々見ることができて私的にはと…

本庄繁長の兜

かぶっている人物が見える気がする。 村上市郷土資料館で展示されています。

剣聖の郷を訪ねて

20年ほど前に剣の天地を読んで以来訪ねてみたかった上泉伊勢守の前半生の舞台。 まず群馬県庁の32階展望ホールから四方を眺める。四方素晴らしい眺望。北方は利根川が迫る厩橋城跡を眼下に三国峠方面を望む。明け方や夜は、どんなに綺麗だろうか。 東へ…

直路

清水峠を越えて越後と上野をつなぐルート[直路]を監視し越後国内への侵入を防ぐ国境警備の城。 山頂付近は尾根を断ち切り山腹へ竪堀が延びる普請の跡が明瞭に残っていた。急峻な登りは守備兵がさすまたでももっていれば、いくら敵兵群がって取り付いてきて…

下野

出発直前までは群馬(上野)の新田の庄に新田義貞関連の史跡めぐりに行こうと思っていたが、新田荘は冬JRでも行けると思い、急遽栃木(下野)の唐沢山城、田中正造生家、足利館をまわってきた。 唐沢山は確かに名城だった。田中正造生家は開館日が火、木、土…

皮籠原

ここもブームになる前に行っておきたくて、強行スケジュール(家→新潟→会津→白河→那須→佐野→太田→藤岡→佐久→長野→家の一日730km)で行ってきた。関ヶ原前、会津に拠る上杉が徳川との決戦場と予定したところ。 この時期が戦国上杉家の存在がもっとも頂点…

兵越峠

武田軍が遠江を攻めたルートを慕って兵越峠から静岡県へ。 その前に長野県寒すぎる。凍るかと思った。 まず水窪の高根城、いきなりきつい。くまんバチに迎撃されたがタオル振りながら突破。次に犬居城、二俣城。まわれたらいいなと思っていた信康公の墓所に…

小栗上野介終焉の地

志賀高原、草津を越えて岩櫃城へ。6年前にも来たが、その時は城跡遺構を中心に見た。今回は城下の平川戸集落に興味があって、城戸から城戸までをじっくり見分。城戸の外は奈落の底のような崖上を細い街道が通る。城跡の縄張りも手が込んでいるが、この城戸…