越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

石動山(せきどうざん)

 能越境に位置する山岳信仰霊場。最盛期(中世)には360余坊三千人の衆徒(僧兵)を擁した。上杉謙信が七尾城を攻めた際、本陣をおいた。
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     復元された大宮坊。
 謙信死後、天正十年(1582)前田利家に攻められ全山焦土と化した。
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      五重塔跡の礎石。生々しい焼痕が見られるらしい。
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              古絵図。
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延喜式に登場する伊須流岐比古神社参道。
全山至るところに遺跡があり、中世山岳信仰の雰囲気を感じることのできる良い史跡公園でした。実際はかなり無頼な僧兵が闊歩していたことだろう。
関山権現、米山密蔵院、小菅神社なども、かくあったかと想いを巡らせました。
 
おまけ。
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          七尾城下 おそらく そう構の掘跡