越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

小栗上野介終焉の地

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 志賀高原草津を越えて岩櫃城へ。6年前にも来たが、その時は城跡遺構を中心に見た。今回は城下の平川戸集落に興味があって、城戸から城戸までをじっくり見分。城戸の外は奈落の底のような崖上を細い街道が通る。城跡の縄張りも手が込んでいるが、この城戸と城戸を閉じるだけで他からの侵入を許さないと思えた。
 6年前と同じ店でそば食べて、小栗上野介終焉の地へ。
 東善寺の御住職と会話をする機会を得たが、坊さんなのに端々に上州気質が突き上がる。小栗公が此処を選んだ気が知れる。
 暴をには鉄槌を、和には誠をもって毅然と応じるが、諂眉(造語)の輩には人の価値などはわからない。それも承知の上で義理を立て血をもって節に殉じた。(幕府ではなく、家族や知行地の領民へ)
 いろいろ想いが沸き立つのだけれど、うまく文字にまとめられない。