越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

阿賀野川の北1

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     笹岡城本郭の土塁。越後守護上杉氏の一門、山浦上杉氏の館城。国人衆とは家格の違いを想わせるつくりでした。村上義清・国清は山浦上杉氏の名跡を継ぎました。
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     政庁があったと思われる郭。鑑洞寺と神社が在ります。
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     正面から。
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     舟繋ぎの杉。湖沼への玄関。湖沼地帯のため、舟運の確保・支配は重要だったと思います。
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     安田城の掘。川中島合戦で奮戦し血染めの感状を受けた安田長秀の居館。
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     新発田重家のお墓のある福勝寺。
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   新発田重家の軍令状の訳。
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     現在の放生橋集落。新発田勢奮戦の地。退却する景勝軍を雨で放生橋付近の沼田の中に立ち往生するところを追撃。景勝旗本まで迫る猛襲を行い、水原満家、上野九兵衛など名だたる武将を討ち取った。
 
新発田勢の拠点の一つ、八幡館は遺構を探しあてることができませんでした。
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  現八幡集落に在る八幡神社とお寺。大抵中世の館跡は、神社とお寺になっている。(池ノ端しかり、笹岡しかり、徳合しかり)。 背後は土塁に見えなくもないが、私のカンでは、ここではないなぁ。
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   側面の竹。矢竹?