越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

下野

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 出発直前までは群馬(上野)の新田の庄に新田義貞関連の史跡めぐりに行こうと思っていたが、新田荘は冬JRでも行けると思い、急遽栃木(下野)の唐沢山城、田中正造生家、足利館をまわってきた。
 唐沢山は確かに名城だった。田中正造生家は開館日が火、木、土でうちの道場と一緒だと思った。六角家の旗本領だったらしい。旗本領などは幕府の代官が代行して治めていたと思っていたが、小栗家の権田村でもそうだったが旗本と知行地との関係はけっこうあったようだ。意外だった。
 足利館はさすがに壮大だった。新田氏は南北朝の戦乱で敗れ、足利氏は勝って権力を手にした。その時代の勝った一族と敗れた一族の盛衰を感じるため、近いうちにやはり新田の庄に行かなければ。
 だが足利氏は勝って権力の中央に座り貴族化し、関東でも京都でも武門の名折れのような子孫ばかりになったような気がする。宗門も貴族化すると、いつしか信徒に娘をお姫様と呼ばせるようになる仏教団になる。
 貴族化は門の本来持つべき意義からの堕落を招くようだ。