越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

越後縦断

 きのうは青木が新潟から春日山へ来て新潟へ戻り、今日は私が新潟へ出向いて午前中は新潟で、午後は長岡で空手と双方から縦断。富山からの機動参加もあった。新潟は二時間稽古を三分割。一部は三戦、対人補助運動、完子和分解。二部は十三反復、十三導入、十戦グループに分かれて型の対人練習。私は青木と二人がかりで紫の十戦を担当し、焼きを入れる。三部は組手。ひととおり相手をする。有段者はもちろんだが、色帯達が思いのほか(失礼)強く、これはうれしい驚きだった。足先、こっそりチョコチョコ蹴ったが誰も素振りをみせなかった。
 長岡へ移動途中、北信大岩郷から越後に逃れてきた須田衆が入植した地と伝わる加茂の須田地区へ寄る。須田氏居館跡の伝承付近を探索。信濃の国の人達の開拓地。
昨年末、大岩郷の山城を調べ、ブログにした。そのフォロー修学。ラストに大岩須田の記事貼っておきますので、物好きな方はご覧下さい。1だけ張りますが、続きもあります。
 長岡稽古もまずは基本。対人補助運動から型分解。今度は十三担当。三戦して小手鍛え。連日で、かつバイクなので遠慮したかったが、そうもいかず、薬学生と鍛え。級・段組手して、今年の組手テーマの復習。ラストに一周組手。長息で整え終礼。掃除して春日山へ帰還。新潟往復すれば、しっかりツーリングだよな。しかし上地の稽古後のバイクは手がブルルとなる。