越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

個性の可能性(平成22年3月発行会報16号掲載作文)

 上地流空手道における強さとは、一定の原理原則に基づいた訓練を経て磨かれる。そして個性が生まれる。
 空手にかぎらずとも、好き勝手にやって上手くいくのは天才かたまたまの偶然で、やるときはやるという人もいるが、私のような凡夫では、それではいざという時に不覚をとってしまう。普段からの心掛けと修練がないと役にはたてない。
 空手の団体でもそれぞれの原理原則があり、それを大切に修練しているところは、大会などで強さと共にその団体の個性がみえる。磨かれた人は個性が輝き、人を引き付ける魅力を放っている。我々も上地流の原理原則を拠り所に修練をし、新潟という土壌でその個性を磨いている。
 新潟の上地流の指導者である私の力量は、ただ一途に自分には空手だ。という信念のもと、空手道を突き進む姿が源であったと思う。たいした素質も実力もなかったが、拠り所を己とし、その己を鍛え整えるのは上地流の修行以外にないと、この道を歩み、実力を越えた大会にも幾度も出場し、ときに勝ち、ときに負け、怪我をし、空手に夢中になっているうちに新潟に多くの仲間を得た。そんな私の思考は、意思は強くなったが、自分の高校生のころと比べてたいして成長したとは感じていない。子供達に空手を教えていても、お兄ちゃん先生のつもりでいる。が、道場開設当初は確かにそうであったであろうが、今道場に通う子供達は私のことをお兄ちゃん先生とは思ってはいない。だろう。試合に出場しても、新鋭のころの断崖で吹く風をうけて立つ心境はかわらないが、誰も新鋭とは思ってくれない。
 昨年の新潟大会無差別級において、新潟の青木栄樹初段が優勝を果たした。純粋な勝気に勝利の女神が微笑んだ感もあるが、新潟の黒帯が春日山の黒帯を破っての優勝であり、まだ20歳の若者の快挙である。これを新潟の上地流発展の転機としたい。だが春日山に長岡にそれをよしとしない黒帯が複数おり連覇は容易ではない。私は、黒帯は一定の原理原則に基づいた訓練を経た証として捉え宗家に推薦している。その者達同士が競い合う中で勝ちあがるには、練習量はもちろんだが、その練習は個の黒帯として研究され工夫したものへと発展していかなければならない。その過程で新たな発想が生まれたり大事なことに気づいたりするだろうが、それは黒帯達が経た一定の原理原則に基づいた訓練を拠り所とし、個の黒帯の修行の道で起きた事象によって違いもでてくる。それが個の黒帯の空手の個性となって顕れ、その周りにいる修行者達の個性の形成に影響し、春日山、新潟、長岡それぞれの個性となり、さらに新潟の上地流の個性へとなっていく。
 平成17年、道場の方針を、新潟に上地流を広めることから育てることに転換した。人を増やす努力はせずに、今修行に励む者達を向上させることへ努力を集中。カリキュラムの整備、少年指導要領の作成、インドの山奥への修行など。その成果、力をつけた黒帯を育てることができた。茶帯も多数昇段を控える。
 平成7年春日山道場開設時から時も流れた。
 私一人の力量や可能性はたかが知れているが、各道場に複数いる黒帯達の個性の可能性は、計り知れない希望を秘めている。黒帯達が、新潟の夜空に輝く星達のように、個性の輝きを新潟に放って欲しい。