越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

鍛えの工夫(平成19年3月会報掲載)

 我々上地流の流祖上地完文先生がプアンゲヌーン(半硬軟)拳法の免許皆伝を許され、福建省南精で道場を開設したのは1904年、日露戦争が起こった年のことです。唐手(トーディー)から空手(カラテ)へ呼称・表記が変わる年(1905)の前年に、プアンゲヌーン(半硬軟)拳法の道場として誕生しました。
 以後上地流は100年にわたり、三戦による厳然たる肉体鍛錬を基に、他の空手とは異なる技法体系で受け継がれてきました。その特異的な鍛錬、技法体系は空手雑誌等で幾度も紹介され注目を集めています。
 平成に入ると格闘技がテレビで放送されるようになったこともあり、空手人口はとても増えました。競技大会も多数開催され様々な空手団体が活動を行っています。 
 この空手溢れる時代にあって、上地流もその伝統と特異性を固持するだけでは時流の組織空手、競技空手のなかにのみこまれ、さらに百年後この新潟に独自体系を伝えていくことはできないかもしれません。
 社会的認知を得るには組織的発展を目指すほうが早いでしょう。ですが組織的発展が主眼になると、上地流が本来持つ‘鍛え’という特性の追及よりも、門下生の数などの空手術とは関係ない部分のほうが重要になってしまうのではないでしょうか。武芸としての‘鍛え’を失ってしまったら、それは上地流ではなくなってしまいます。
 鍛えるとは先人が示した技を素直に受け取り、それを実践する中からしか本物は見えないと宗家は説きます。原理原則の継続的稽古は言うまでもありませんが、私はそのうえに‘鍛えの工夫’を模索しつづけることによって、組織発展、競技成績に依存しない上地流を新潟に伝えていこうと考えています。