越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

想定外

ガクトの人気凄いね。朝から見たことない女性達が道場の周り(山麓線沿い(笑))に溢れだす。黒が基調なのかな。良く見るとわりと年配の方(俺より上)も多くて驚きだな。
昼前に脱出し長駆、設楽ヶ原古戦場へ。
大学生の時にも来た事あるが、以後研究が進んで更に考証に則った紹介、案内がされている。設楽ヶ原保存会という地元の人々によるホワイトボードに手書きの案内看板が道標。大学時代にはかったな。お陰で隈なくまわれた。満喫できました。
おかしな力に頼るとおかしな健造物作られたり、おかしなお店が立ち塞がったりしてしまう。そのうち消えるけど。
史跡は観光活用すべきではない。
それにしても武田陣地と織田徳川陣地、近すぎる(二百五十辰らい)。置かれた状況の顕れでもあるし、真田、土屋が柵に取り付いて討たれたのも頷ける。山県昌景の顔は家康本陣からも見えたはず。
 午後2時、朝からの十数度の突撃に疲れた武田の将兵が勝頼の元へ集まりだし、その時、織田徳川陣地から湧きだすように軍勢が押し出してきて…という場面の描写がグッときた。
 インドの山奥へ向かった二人、生きてるみたい。
 チビ獅子は階段できなかったようだ。