越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

閑話休題 地下城


 会報修武23号の発行が成り、錬成大会も終わり、修武杯の前の閑話を一つ

 今日の午前は仕事休み確保して、朝のうちに机の勉強を済ませて、長岡の地下城(ぢげんじょう)という山城へ。
 きのうの強化練習に次いで連日の長岡。
 長岡北というスマートICができていた。

イメージ 1地下城
中世越後の階層に、地下人という階層があり、給人ではないが、田畠を所有し、かなりの経済力と武力とを所持していた。

名前から、その地下階級の人々の城である可能性があり、実見してきた。




イメージ 4ちまたでは、歴史・城ブームとはいうけれど、一年に何人この城を訪れるのだろうか。











イメージ 3私は、このような道なき山に踏み込んで山城を調べている。

これが、脚力、バランス感覚はもちろんであるが、心肺にブーストを掛け、レッドゾーンで己を鍛える練習になる。クーさんとの遭遇の可能性もある(過去に二度遭遇)。




イメージ 5このあたりが城の主要部になる













イメージ 2背後の堀切

畝を添えているが、掘の形状は洗練された構造には見えない。










                   しかし、

イメージ 6城内への入口に虎口(出入口)を備えている


張出し、受けている。










イメージ 7中から















  地下城の虎口構造は、天正期上杉の城郭構造とみても先進的な構造である。
  地下人であっても先進的な構造を用いて城を維持していたということか。


イメージ 8もう一箇所


前面に土塁を備えた浅い堀で虎口前を防御している。
銃撃・陣地である可能性もある。








イメージ 9書き込みなし



 いずれ修学旅行で記事を書きたいと思いますが、閑話に歴史記事をおおくりしました。









  午後は薬局で仕事である。