越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

第一義

昨年10月、大豆町内の文集『ぬくもり第9号』の投稿した作文「第一義」を、大豆向けから上越市向けに内容を改訂し、上越タイムス紙に投稿したところ、今日掲載されました。 

 
第一義
  永野 栄樹
第一義(だいいちぎ)は、謙信の書として林泉寺山門に掲げられ、上越市に住む人のみならず、全国の謙信ファンに広く知られている語である。謙信公祭では、春日山を背に城下(大豆一丁目交差点)に高々と大旗に掲げられる。
第一義は、謙信が、正義や義理を第一の旨とし掲げ、戦国を戦った語として流布しているきらいがあるが、本来の意味はそうではない。
臨済禅の素録碧巌録第一則に、次のようにある。
 
武帝、問達磨大師、如何是聖諦第一義。磨云、廓然無聖。  
 
読み下すと、梁(りょう)の武帝達磨大師に問う。「如何なるか是れ聖諦(しょうたい)第一義」。磨云く、「廓然無聖」。
 
意味は、梁の武帝(1)が達磨大師(2)に問いました。「仏教の真理とは何でありますか?」=「如何なるか是れ聖諦第一義」 達磨大師は、「からりと晴れわたった空」=「廓然無聖」だと答えた、となる。
つまり、「第一義」とは「仏教の真理」を顕す言葉であり、それは、「からりと晴れわたった空」であるということである。空(そら)といっても、空そのものを指すのではなく、雲ひとつない真っ青に晴れわたった空、まじりっけひとつない空といった心境のことで、禅でいう空(くう)の教えを例えて言ったものである。禅でいう空の教えとは般若心経の空であり、色即是空 空即是色の空である。もう少しわかり易く説くと、無私、無欲、貪り無く、物無くといった心の状態と解けようか。
つまり、謙信が掲げた第一義とは、正義や義理を越軍の理念や戦いのスローガンにした語ではなく、禅における廓念無聖の境地を示した語である。
 碧巌録第一則は、次に続く。

帝曰、対朕者誰、磨云、不識 ( ・・ )

 「朕に対する者は誰ぞ。」「識らず」。

 
不識 (・・)謙信法号は、ここからきている(傍点引用者)。如何にこの第一則の教えが謙信の核心であったかわかるであろう。
上越市では、北陸新幹線が平成二十七年春に開業し、観光の中心に謙信を据え、同時に謙信の義を振りかざす風潮が盛んになっている。歴史ブームとも相まって、その風潮は益々盛んになるであろう。歴史ブームに乗ることも機運であろうし、謙信に興味を抱く
とっかかりが、ドラマやゲームでもいいとは思うが、所詮それらから生じた謙信像は、私達現代人の捏造である。しかし、私達の郷土である頸城野の土と空に抱かれた春日山城は、謙信が生きた環境であり、真摯に向き合えばリアルな謙信を現代人に語る可能性がある。
上越市が行うべき謙信の活用は、ブームに乗って観光客を獲得するかという議論よりも、春日山に訪れた人々に、実物が訴える発信力を使い、また最新の研究成果を社会に還元するなどのリアルな謙信に出会える工夫のほうが相応しいのではないだろうか。
謙信の活用がいいことのように叫ばれるが、無知であったり、活用の理念が邪であれば、装飾として振りかざす程度の義が、謙信の居城春日山城のあった上越市から全国に発信されることにもなりかねない。文化財を破壊したうえに、おかしな建築物を求められる懸念もある。
春日山を郷土とする私達は、無知や邪な理念による活用から、謙信の遺徳を、歴史遺産を、正しく守り、伝えることも使命である。その核になるのは、謙信の核心である第一義の観念の正しい啓蒙であろう(4)。林泉寺山門に高く掲げられる第一義、あるいは謙信公祭で城下の空にたなびく第一義を仰ぎ見たとき、正義をふりかざし戦う謙信を想うより、謙信が禅の修行により至った廓念無聖の境地、真っ青に晴れわたった空のような心境を想ったほうが、謙信の核心に迫り、謙信と一体になることができるのではないか。
全国から謙信を慕い春日山にやってくる人々が、春日山に行ったら第一義の真の意味がわかったと。その日が快晴であれば、春日山から静かに、謙信が見た頸城の美しい青空と同じ空を観、謙信が掲げた第一義の心境に想いを馳せてもらうことができたならば、観光的期待を満たすことよりも、はるかに意義深いことだと私は考える。
 
本稿碧巌録第一則に関しては、臨済宗円覚寺派関興寺住職杉岡明全和尚より教導頂いた。
  1. 中国南朝梁の皇帝(五〇二~五四九年在位)
  2. 中国禅宗の初祖・円覚大師菩提達磨大和尚
  3. 天正年四月二十四日付の上杉謙信願文(写)に「法印大和尚不識院 謙信」と自身の署名がある。
  4. 林泉寺拓本に解説書が添付されているが、難解である。