越の修武録 令和編

上地流空手道宗家直系春日山修武館 令和元年からの活動記録です。

根知城遠景(根知のシーサイドバレーにソリに行ったので)

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 根知城の根小屋城遠景
 糸魚川根知谷の姫川に接する西端の尾根に築かれた、上城山城(詰め)、根小屋城(要害)、栗山城(館)の三城から成る壮大な山城。国人領主の要害ではなく、糸魚川から信濃松本平に塩の道で繋がる仁科口の、越後防衛のための上杉による城と思います。西は越中境。
 永禄8年、村上義清を城将に任じ、仁科口の防衛と、塩などの海産品の物流を支配させ、間接的に旧領に影響を保ったと考えられる。有名な敵に塩を送る故事の舞台。
 私のご先祖は当時糸魚川で塩の商いをしており、その際松本平へ行った人足は全て斬られ、一人も帰ってこなかったと伝わります。決して美談ではなく、大きなビジネスチャンスにおける商行為、かつ情報探索のための敵地侵入行為だったのでしょう。上杉謙信の米の年貢収入は、越後国内の多くの土地は国人領主達の領土であったため一部の直轄地のみであり、莫大なものではなかったと思います。むしろ上杉謙信の財政基盤は、青苧・塩などの商行為によるほうが大きかったはずです。イメージ 1
 大糸線根知駅北の踏切から根知城北端の尾根をみる。
 右側(西)は、現在国道148号と鉄道大糸線が走るが、当時は人を寄せ付けない姫川の渓谷。